疑問に対してのそこのところ。
疑問を抱いたらすぐに調べられる様になったネット社会。
とても有り難く、また怖いものです。
私は「便利」が1番怖いものだと思います。人は不便を省く為に知らなければいけない道を近道してしまう。
そうすると幾多の疑問が生きている中で起きてしまう
人には聞けない、人が知らない、どうしたらいいの?
そんな疑問がたくさん現れます。
効率良く生きていく前に、どう生きていくか、次の「疑問」に対して自分の言葉で人が納得し、それが繋がるか
連鎖反応です。
私の納得は私の尊敬する方々から得た、理解。
疑問を言葉にして、嫌われないか。
疑問を言葉にすると馬鹿にされないか。
解らないと、簡単には口に出来ないような現代で、信頼が出来
答えてくれる、応えてくれる
そんな人に巡り会うのは奇跡です。
空白の答えは様々な形をしてそこらに転がっていますが、納得出来るまで。
理解と言えるまで。
その間こそ長くて険しい。
ネットはこんなに広いのに、ネットが答えてた、応えた事の正解という信憑性は?事実性は?
このブログもまた、1つの例。
例が多ければ多いほど、役立つ。
たくさんの疑問にはその何倍の納得があるのです。
言葉の大事さを感じます。
私が今以上に浅はかだった時に、そんな人間を無視せず一つ一つ返った言葉の暖かさと鋭さは、今も私の中で生きて、生かしていけています。
疑問は恥ずかしくない。
そう思えた時、応えてくれた方々は
自分達も納得や理解まで長く
それでも、自分の道を見付けた時。
私も、その方々も、
納得以上に安心したのです。